延暦寺について

法要

顕密二教の法要儀礼

 天台宗では仏の教えを顕教(けんぎょう)と密教(みっきょう)の二つに分類します。
 顕教は、仏が衆生の性質に応じて理解しやすく説かれたもので、自らを救い、他を利することを教えるものです。
 密教は、仏の悟りの世界そのものを示す秘密の教法で、仏と自己の一体を観念し、仏の神秘力威力の加護によって、仏の境地に達しようとするものです。
 したがって、顕教と密教では法要儀礼方法も異なり、顕教で行う儀礼は、経典を読誦し、仏の教えを新たに心に刻み、日頃犯したあやまちを脱却することによって、仏教徒としての正しい日常生活を実践しょうとすることが中心となります。
 それに対して密教の儀礼は、秘法による加持(仏・菩薩の尊い力が私たちに加わり、仏・菩薩と私たちがお互いに通い合い、交わり合うこと)・祈祷(加持の状態に導き入れるために祈り、人々の利益を守ること)が中心となっています。
 天台宗の法要儀礼は、このように顕・密二教と、顕密併用とが用いられますが、具体的には顕教法要は法華三昧(法華経を読誦し、懺悔し、滅罪生善の規範とする)と常行三昧(じょうぎょうざんまい。阿弥陀経を読誦し、往生極楽の指南とする)の二法、密教法要は光明供錫杖(こうみょうくしゃくじょう。光明真言によって滅罪息災の秘法を修す)が常用されています。
 このような天台宗の二種の法要儀礼は、私たち自身の心の開発を重視しています。

顕教法要

 中国天台宗の開祖・天台大師智顗(538-597)は、法華の教えを実践する方法として『摩訶止観(まかしかん)』の中に四種三昧(ししゅざんまい)を説かれました。

 四種三昧とは、四種の心の安定を得る方法で、次の通りです。

常坐三昧止観坐禅によって身心を安定させ、一切の因果道理を観ずる法
常行三昧常に行道し心に阿弥陀仏を念じ、名号を唱え、安心を得る法
半行半坐三昧自らの罪を懺悔してあわせて止観坐禅し、仏心を成ずる法
非行非坐三昧期日・方法を定めずして、日常生活を営みながら、念仏、観法し、悟りの境地に入る法

 この四種の行法はいずれも同格で主伴はなく、修法は懺悔が根本です。罪を悔い改めることにより身心の清浄を得、現世において仏心を成ずる課程に入るという、天台宗では欠くことのできない行法で、行者が常に修習することを規定しています。
 古くから俗に、「朝題目に夕念仏」といわれる朝題目は、法華懺法(ほっけせんぼう。半行半坐三昧)、夕念仏は例時作法(常行三昧)にあたり、この二種の法要が顕教修法の中心となって、葬儀式・法事等の法要の多くが営まれます。
 特に法華懺法は、仏の教えに従って、日常生活を送ろうとする者の作法や心の運び方をも指南するものとして重視します。

 法華懺法は法華三昧ともいい、天台大師の選述で、法華一乗の精神の実践法、日常生活の心構え、心の運び方や行儀を説いた『法華三昧行法』が基本となっています。『法華経』を読誦することによって、自らの罪を懺悔する修法という意味です。
 仏教でいう罪とは、法律や道徳上のそれとはおもむきを異にして、一切の存在は平等であるという真理に背き、相対・差別の妄念にとらわれたすべての言葉や行動を総括したものです。私たちは日常生活の中で自分のことだけを考えて、みだりにあれやこれやと対立させ、差別し、物事にとらわれて愛着したり、憎しみを抱いたりしています。これがすべての罪悪です。この罪の源は、自分自身の心のなせる業で、それは煩悩心によっています。私達には誰でも等しく仏性(仏となる性質)を持っているが、煩悩のためにそれが隠され、見失っています。その仏性を自覚し磨き出すのが懺悔であり祈りといえます。
 法華懺法の儀式は、私たち一人一人が、そのままこの世の中を浄めてゆくという大乗仏教の精神に基づいて進められていきます。
 次に例時作法は、天台宗の日常法儀として、常行三昧の名で修される、阿弥陀仏の極楽浄土へ往生することを目的とする法儀です。
 仏教では、懺悔による自己の清浄心は、仏の心と一体不二であるとするところから、天台宗では、懺悔・念仏によって、ご先祖の追善供養を営むと同時に、自己の中に存在する阿弥陀仏(仏性)を観じ、現世において理想の浄土を実現しようとする意味があります。したがって念仏は自己の心の中にある仏性を発することが本旨です。
 この例時作法は、日本天台宗第三祖・慈覚大師(円仁)が入唐の折、中国・五台山の念仏三昧の法を伝えたものであると言われています。

密教法要

 密教法要としては光明供が多く修せられます。
 葬式・法事・施餓鬼会などでは、まず光明供を修し、その後で葬送の作法なり、施餓鬼の作法等が修されます。
 密教における修法には『蘇悉地羯羅経(そしつじからきょう)』にもとづく十八道、『大日経』にもとづく胎蔵界、『金剛頂経』にもとづく金剛界の三種があり、天台宗の葬儀では、十八道に準じて作られた光明供が多く修されます。
 十八道とは十八の印契(仏や菩薩の内面的な悟りを示す形で、仏様の手の結び方などをいう)を結ぶ行法であり、これによる光明供とは、阿弥陀仏を本尊とし、光明真言を念誦する法要です。

 天台宗では一般に光明真言を次のように唱えています。

オン、アボキヤ、ビロシャナ、マカボダラ、マニハンドマ、ジンバラ、ハラバリタヤウン

 この真言を受持する者は、光明を得て、多くの重罪を滅し、宿業・病障を除き、智慧弁才・長寿福楽を得、この真言で加持した土砂を死者に散ずれば、離苦得脱の多大な功徳があるといいます。
 導師(修法を司る僧侶)が懺悔・礼仏などを行い、身心を整えた後に、行願文(法要の趣旨を述ベ、仏を招請する)・三昧耶分(仏の来迎に備える)・成身分(身心を調える)・曼荼羅分(仏を迎え請じ入れる)・供養分(浄水・香華を仏に供養する)・作業分(三昧に入り仏と一体化する)・三摩波多分(仏に再び供養し、元のところへお送りする)といった種々の印を結び、真言を唱え供養し、故人が極楽浄土へ引導されることを祈念するのが光明供の作法です。

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